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原 寛 新津商工会議所 監事 

「心自不閑」

 今から六年前「牛に引かれて善光寺詣り」ではないが、長男に引かれて剣道の稽古につき合うはめになった。齢四十八の時である。社会に出て三十年近く何の運動らしきものもせず、新津一中時代に剣道・大学でフェンシングを経験したものの体が果たして動くのか、それよりも先ず毎水曜・土曜の午後七時から時間が取れるのか、防具・竹刀は手に入るのか等々…で二重・三重の心配をしながらもはじめて二年間、何とか順調に初段、二段を頂戴する事が出来た。我ながら快挙であった。
 さて、稽古の始めと終わりには静座をし黙想するのであるが、その正面に何やら訳のわからぬ二七文字の異体字の豎額(文末参照)が掲げてある。しかしながらこれが読めない情けなさに半年間悩み続けた。大学時代の史学科で先頃亡くなられた日本の歴史界の泰山北斗と称せられた児玉幸多師の薫陶を受けながら読めないことは、落第生のレッテルを貼られた様なものである。しかし小生のみならず当時の横越教育長のU氏、学芸員のF氏でも読めないとの事。益々読みたい気持ちに拍車がかかる。これを写真に撮り数冊の古文書解読辞典と取り組みながら、夜な夜な考えた。
 ふとある日書店で岩波新書の新唐詩選なる本が目に付いた。杜甫と季白の詩が活字になっている。めくって見るとその異体字らしき季白の詩があった。七言絶句である。本来二八文字なければならないが、この書は二七文字である。一文字足りない。このことを金津のN様、新大助教授のO氏に尋ねてみた。お二人共曰く「弘法も筆のあやまり」かの良寛様でさえ誤字脱字だらけ。と言う答えであった。この書を道場へ寄贈して下された方は一昨年亡くなられた新潟の剣道界では高名な方であり、書家でもあった。御本人には生前何度かお会いする機会はあったもののついに言い出せずじまいであった。
 ご冥福をお祈りする。 合掌