秋葉神社の歴史
秋葉神社を創建した桂家は桓武天皇の皇子である葛原親王に始まる家柄であり、葛原親王から数えて13代目に当たる治部卿親輔の子秀行は春日神社を興すため能登国に下り葛原家を興しました。葛原家16代誉秀は越後に移り、善道興野(現、新潟市秋葉区善道町)に住むこととなりました。また「葛原」姓は皇室に由来するものであるため、これをはばかって桂原と改姓し、更に子の代以降は姓を「桂」と称しました。
3代六郎左衛門誉春の代には隆盛となり、新発田藩勝手方御用役を命じられるまでになりました。更に新発田城西門の普請を勤めた功により庄屋格に取り立てられました。宝暦11(1761)年には新発田藩領主溝口候より神社建立のため田家山を賜り、翌々年(宝暦13年:1763年)に祖先より邸内に奉祀してきた秋葉神社をここに奉遷し当地の鎮守としました。これが現在の秋葉神社の始まりとなります。またこのことから従来「田家山」と称していた地を以降は「秋葉山」と称するようになりました。
以来、尊信者は近郷のみならず遠くは津川、三条、新潟、北蒲原方面にまで及び、特に津川町では講を結んで春秋の祭典毎に総代が参拝して神符を受けたといわれます。
現在の社殿は明治3年、本殿、幣殿・拝殿とも桂家の自費により再建され、祭典も代々同家によって行われてきました。しかし昭和39年、神社の管理・運営は桂家から秋葉町内に委譲されました。現在は秋葉3町内(一丁目〜三丁目)住民を氏子とし、氏子代表(総代)を構成員とする秋葉神社総代会により管理・運営が行われています。
またこれまで境内社として祀られてきた琴平神社(御祭神:大物主命)、天満宮(御祭神:菅原道真朝臣)の両社は昭和58年1月に秋葉神社へ合祀されることとなりました。
また今では秋葉神社境内は信仰の地としてだけでなく、隣接する秋葉公園と共に四季を通じた行楽の地として市民に親しまれるようになっています。
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